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April 28, 2011

もし学生時代に戻れるなら、何をしたい?

ブログネタに参加しよう!

このタイトルが115番目らしい。初めて「お題」として書いてみようと思った。

学生時代、そうですね、ワタシはアルバイトというものを、殆どしたことがないので、学生時代=お小遣いをもらう生活なんですね。

それはさておき、思い返すと、時間がいっぱいあった時期だったということです。
学校から帰ると、食事は出来ていたし、食事のあとは、母親・妹とお茶を飲みながらよく話した。その日いちにちあったことを、いろいろと話したものです。

そう、ピアノのおけいこもしていました。いま思うと、もっとピアノを自宅で練習しておけばよかったな、と。時間はおもいっきりあったはず。ピアノを弾いていれば、きっと親からほめられたであろうに。
そして、英語の勉強も、もっとしておく時間があったはず。そして、もっと本を読めたはず。

学生時代、そう、働かなくてよい時代だった。だから、自分の好きなことが出来た時代なんですね。しかも、時間を自分のために使える。

で、何をしたい?
そういうことを考えると、今、自分が出来ることはなにか、ということを問い直すような気がする。たらればをただ語るのではなく、たらればを今に活かしたいな、と思う。
たらればを過去にするのではなく、いま現在のたらればは、将来・未来を変えてくれるんだって。

明日からのゴールデンウィーク、そんなイブに、ふと思った。

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April 23, 2011

結婚式→披露宴→二次会

お天気は悪い、雨だし、寒い・・・

でも、雨降って地固まる、まさにそんな感じの結婚式、披露宴、そして二次会でした。

丸の内交響楽団で知り合ったバイオリン弾きの女の子。彼女が、今日の主役です。

結婚式、キリスト教のお式。お父様と一緒に教会へ入ってくる新婦の彼女。そして新郎である彼は、少し前に神父とともに入場して、教会の最前列で彼女の到着を待ちます。

讃美歌312番。
いつくしみ深き、ともなるイエスは、
つみとがうれいを取り去りたもう、
こころの嘆きを包まず述べて、
などかは下さぬ、負える重荷をnote

昨年の自分の結婚式と重ね合わせて、1つ1つ、進んでゆく工程を、かみしめながら、そして、自分にあてはめながら聞いていた。
うーん、やっぱり、約束をするということ、これからもヨロシク!という決意、そして相手への信頼感。
そんな2人の間に構築される関係、これが結婚というものなんだ、などと思いました。

もちろん、二次会を終えて、深夜帰宅となったワタシを、寝ぼけ眼で迎えてくれたワタシのカレ。大切にしなきゃねheart04

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April 21, 2011

耳栓③

うちには置時計があります。15分、30分、45分、60分、1時間に4回チャイムが鳴って、ちょうどの時刻にはプラスでその時刻の数だけ、ちょっと低めの音が鳴る、そういう置時計です。賑やかです、はい。N響アワーとか聴いているときに鳴ると、どっちの音もオンチに聞こえて、というか音程が外れて聴こえてしまうんですね。置時計の音に音程を求めるのは無理なこととは思っていても、N響アワーは音程は確かなはず。なのに、15分ごとにN響もオンチになる・・・
でも、それって、ヨーロッパの教会が鳴らす鐘と同じようなものだから、そういう音とともに育ってきたのがヨーロッパの音楽だとすれば、ショパンもピアノを弾いていたときに、町の教会の鐘の音もしただろうし、ベートーベンが運命の3連♪をまさに振らんとするアインザッツのときに30分めを告げる鐘が鳴っていたかもしれない。

ところが、今日の夕食、その置時計の15分ごとに鳴る音に気づかずに鍋料理を食べていたらしい。ゴマ油をたっぷり利かせた緑豆春雨+豚肉+その他お好みOK鍋を用意してくれていて、缶ビール1本を二人で分けて、ああだこうだとTV見ながら話していたとき、ワタシは「あれ?今日は置時計が鳴りませんね?」と気づいたのです。
「え、そうか?」と疑問を満面にあらわして怪訝そうな声で答えたカレ。時はちょうど8時45分にならんとしており、45分になるとチャイムが3回鳴った。
「あれ?鳴りましたね?」というワタシに
「あれ、耳が聞こえないんじゃないの?」とカレ。
「はは、耳栓してるからね、ってですか?」
「このチャイムが聞こえないなら、耳栓いらないんじゃない?」とカレ。

隣にイビキの聞こえる幸せ・・・ ってあるわよ、と先輩がコメントくれたことを伝えると、満足げに「いい先輩だねえ。さ!寝るぞ!」と一人さっさと寝てしまい、いまはもちろん高イビキ。それでもワタシは、眠りの妨げにならないように、ドアを閉めてドライヤーで髪を乾かす・・・ ドライヤーの音くらいで目が覚めることはないのに、はは。

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April 16, 2011

耳栓②

耳栓、その2.

昨夜、午前3時ころ、同じような大きなZZZで目が覚めた人がいたようです。

でも、ワタシの場合の耳栓の安心感っていうのは、
もちろん、熟睡という平和な時間を持てるということもあるのだけど、
同じように熟睡していても、緊急事態や火災など、何か事件があったような場合、
必ずワタシを起こしてくれる、そして、安全な場所まで連れて行ってくれる、
そういう頼れるものがある、そういう耳栓なんですね。

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April 15, 2011

スパゲティ三題

火曜日のランチタイム、さあ、何を食べようか?
「今日はパスタを食べたい気分!トマトソースのパスタが食べたい」という友人とともに、42階のイタリアンへ出かけた。節電していても、最上階ということもあり眺めも良く、程よい照明に感じた。Today's Specialにした。魚介類のソースのパスタとあった。美味しそう!と頼んだのだけど、出てきたら、スパゲティではなくペンネ。たしかにペンネだってパスタ。でも、ペンネはアラヴィアータのようなソースでないと、なかなか絡まない。ちょっとねー。という感じだった。

水曜日のランチタイム。さあ、今日はどうする?
「昨日のパスタの雪辱戦をしたいね」と、今度は、地下のスパゲティ屋さんへ行った。そこは、量が多く、シェフも店員も全て男の子たち。小柄で細めで、レストラン内を歩いていても決して邪魔にならない体型の子たち。友人の彼女は念願のトマトソースに舌鼓を打ち、ワタシはアンチョビペペロンチーノのニンニクを心配しながらも完食。私たちは気分良くカウンターへ行った。このビル内で効く割引カードというのがあるので、「このカード効きますか?」とレジの男性に聞いてみた。すると「割引なんてありませんよ。もう3月31日までで期限切れているでしょ。」とつっけんどうに言い、ワタシの手からカードをもぎ取ろうとした。
なにあれ? せっかくスパゲティは美味しかったのに、失礼な奴よね。

木曜日、地元のスパゲティ専門店へ母親とランチに行った。小さなお店で、出てきた人もやはり小柄な男性。どうやら3人で切り盛りしているらしい。母親は、明太子と生イカのパスタ。ワタシは、春野菜のバジリコスパゲティ。廻りにはワインの瓶が並んでいたけど、まだ仕事もあるし、と我慢。
しかし、ここのスパゲティは美味しかった。この3日間、追い求めた美味しさ、そしてお店の雰囲気も良い。お兄さんもオジサンも、お客が来てくれて、美味しい!という声を聞くのがとてもうれしい、そういう感じだった。

3日間連続して食べたパスタたち。パスタそのもの+店の雰囲気+店員の態度、これらどれが欠けても客にとっては「この店は美味しかった」という評価を得ることはできない。そう思わされた3日間連続パスタランチの報告でした。

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April 13, 2011

耳栓

昨夜、初めて耳栓というものを使ってみました。すると、その効果は翌朝の目覚めに出ました。なんとスッキリした目覚めなんだろう、寝起きもグッド!
いままで一人で、ドアを閉めることもなく開放的に寝ていたものだから、部屋のドアを閉まっているだけでもね。その中に時に響き渡るわけだから・・・

よく、鼻をつまむとZZZは停まる、と言うけど、それもねえ。
で、ご存じでした?
ちょっと体を揺らしたり、背中を突くだけでもzzzは小さくなって、寝息に変わるってこと。でも、それでも夜中に起こされしまうわけでして・・・知らず知らずに睡眠不足になってゆくのですよね。

しかし、耳栓、これは素晴らしいツールです。
これで安心。今夜も眠るのが楽しみになってきました。

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April 10, 2011

チェンジワイパーnote

3月27日に予定していたオーケストラ演奏会が、東日本大震災の影響で中止になったことから、このところの土曜日や日曜日は、家でのんびりテレビを見ていることが多くなった。
しかも、最近は土日といえ、9時には朝食を戴いているという生活パターンとなり、週末にも午前中という時間帯が登場したのだ。いままで、土日は午前中という時間帯はなく、目覚めるとすでにブランチ時間というパターンだった。しかし、8月21日以降、ちょっと生活パターンが変わった。

そして、この土日、テレビで気になったCMがこれ。

チェンジワイパーnote

確かに、雨の日、ドライブしていてワイパーを動かしても、洗浄液で掃除してみても、フロントガラスの曇っていてすっきり見えない。油膜が張る、っていう状態で、運転が不安になるようなことがある。夜などまさに、前が見えなくて、目を細めてみたり、スピードを思いっきり緩めてみたりする。

定期点検していると、金属疲労ではないけど、ゴムも劣化するという。運転する回数や距離数にかかわりなく、時間だけはどうしようもなく品質に影響を与えるという。そういうアドバイスをもらって、いままで幾度かワイパーのゴム部分を交換してきた。まさに、そのことを言っているCMだった。

雨の日など、ワイパーを回しても、前が見えない?
ならば、ワイパーを交換してみよう!
ほら、すっきり見えるだろう?

このCMの音楽も調子良いし、また、ワイパー部分を持って、腰を安定させてワイパーのように両手を振る。そんなCMが、気に入ってしまった。きっと、ワタシにもこんな思い出があったからなんだろうな。2005年5月2日のココログ、懐かしく思い出しました。

May 02, 2005 ワイパーが壊れました(>_<)!

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April 09, 2011

海外からのメール

東日本大震災、そう名前が決まった。それまで、東北地方太平洋沖大地震、東北東関東大震災、など、いくつかの呼び方がされていた。そして、2週間たったころ、正式に各社が「東日本大震災」と報道し始めた。

3月11日は金曜日だった。
仕事上、海外の人とのメールのやりとりがあるのだけれど、週明けから、彼らのメールにはかならず、日本に住み日本で働く私たちへのお見舞い、そして気遣い、心配、応援、いろいろなメッセージが添えられてきた。
私たちは、交通機関が100%動かない中でも、事務所への出社は時差さえあったものの殆ど全員が出社した。帰りは、間引き運転を心配して、まっすぐ帰る。そして、また翌朝に備える。
そういう私たちの生活を思ってか、穏やかに、しかし、強い気持ちを持って、仕事を滞りなく進めてゆこうとする私たちの姿勢への驚きのような言葉が添えられているときもあった。

3月は期末でもある。
ワタシは期末として意識はしないものの、3月31日に仕上げなければいけない仕事があった。それも、ドイツとイギリスとの合同作業、そして日本側スタッフと調整しながらの仕事だった。3月11日のこともあり、その締め切りを再考してはどうかと、投げかけたくなったときもあった。でも、彼らにとって、日本での仕事・作業が遅れることは、グローバルへの約束をキープ出来なかったことになる。
彼らは締め切りについては何も言わない。しかし、アチラに渡したボール(宿題の答え)がなかなか返ってこない。こちらから、3月31日で本当にそちらは大丈夫か?という確認も幾度かした。すると、「あと2日あるじゃない」とか「まだこちらは11時よ、大丈夫!」というような返信があった。そういうメールを、朝一番に見る、そんな毎日が1週間続いた。

でも、雨ニモマケズ、風ニモマケズ、
ならば、予期しなかったことが起こっても、もともと予定していたことはちゃんと遂行しなくては! と仕事を進めていき、3月31日にはめでたく完了。ドイツ側もイギリス側も追込みがすごかった。そして、4月1日の朝、彼らからのメールを読んで、1つの仕事をやり終えた充実感をかみしめ、その日の夕方には、電話会議でお互いにご苦労様とねぎらいあった。

あちらこちら、いま、地震は日本列島の場所を選ばずに、私たちを揺さぶっている。携帯に着信するエリアメールの音にビクッとしながらも、日々の仕事は進めてゆかなければならない。海外に対して、私たちは大丈夫、ちゃんと仕事してます、そう伝えること。少しでも日本の経済を応援することにつながれば、そう思う。

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April 02, 2011

3月11日(金)

まさかそこまで大きなことになっていようとは思わなかった。
いつものように昼食を食べ、汐留シティセンタービル31階の事務所で仕事をしていた。お尻から何か揺れを感じた。あ、地震!かなりの横揺れだった。ブラインドが窓ガラスにぶつかってガンガンと音を立てる。柱がミッシミッシときしんでいる。その柱に掛けられていたポスターがぶらんぶらんと揺れていた。
これはかなり強い地震だ。と、自分の机の下に入れるように準備していた。
少しして、ある程度の揺れが収まったとき、向かい側のビルを見に、窓側に行ってみた。前は、日テレ。ユラユラと揺れているのが見える。きっと、向こうからも、うちのビルは揺れているのだろう。
そして、窓から外を見ていたら、ケイタイが変な音を出した。エリアメールだった。

「緊急地震速報
福島沖で地震発生。強い揺れに備えて下さい(気象庁)」

すると、本当に来た。どこかに捕まらないと立っていられない。窓際にいたら危ない気がした。「こちらは防災センターです。地震が発生しましたので、エレベーターを緊急停止しています。復旧の見通しは立っておりません。皆さまには火の元をご確認ください。このビルは免震構造となっておりますので安全です。」というような館内放送があった。「良かった、エレベータに乗っていなくて」そう思った。

3時4分に、会社から安否確認のメールが来た。「ただいまの地震について、被災状況を返信してください」というもので、あ:無事、か:負傷、さ:その他、に加え現在地を返信するというもの。しかし、「送信」しても「送信」してもつながらなった。

PCで地震情報をみてみると「津波に警戒してください。3時に津波到着予定」などとなっている。緊急地震速報のエリアメールが来たのが確か2時40分ころだった。ということはたった20分で津波が来るっていうこと?そんなに早いの?
でも、揺れが収まって、仕事に戻った。エレベーターが停止していても、そのうち動くだろうし、と呑気に構えていた。そして、5時を過ぎ、ニュースを見てみると、綺麗に並んでいるビニールハウスが飲み込まれていく映像があった。いったい何が起こっているのか?理解できなかった。

エレベーターは、まだ動かない。復旧の見通しは立っておりません、という放送が繰り返されるばかり。都内の交通機関も停まっている。帰宅難民、その言葉がわが身に起ころうとは。歩いても2~3時間で帰ることはできる。でも、母親も無事に家にいることもわかったし、ガラスも棚も被害はないこともわかった。なので、会社に一泊することにした。防災センターからは、「お客様は、このビルにて留まられていても構いません」というアナウンスがあり、「私たちって、お客様なんだ、なんか変な感じ」と思いながら、一泊することにした。
他のビルでは、すぐ出てください、というところもあったという。そういえば、31階の窓から新橋方面を見ていると、小さな広場に人が溢れていた。ビルから飛び出してきたのか、追い出されたのか。私たちは、外に出られなかったこともあるが、このビルにいれば安心安全と思っていた。仲間もいる。会社で地震にあって良かった、そう思ったくらいだ。

その日のうちに発信しなければいけないメールがあったので、仕事を続け、残業となった。今度は、総務部からのアナウンスがあった。緊急用の非常食と水を配布するので、各部で必要個数をまとめて大会議室まで取りに来てくださいというもの。女性の方には非常用の毛布を配布しますとも。うちの部は8人。女性は2人。
行ってみると、総務部の人たちが、災害対策本部となり、対応していた。仕事で打合せした人も、非常食を配ったり、列を整理したりしていた。いままでの防災訓練が効いているのだろう。
女性用の毛布といっても、銀色の薄い紙のようなもので、15センチ四方の小さなパックに入っていた。でも、確かに膝や腰に巻くと、暖かくなってきた。暖房が切れることはなかったし、照明も少しは落したけど、通常の雰囲気で夜は過ぎて行った。どうせ帰れないなら、オセロ大会をしよう、DVDを見よう、などさまざまな過ごし方をしていた。

翌朝、東京メトロは間引き運転とはいえ、動き出したというので、8時に会社を出て、いつもなら40分くらいの道のりを途中駅での時間調整を繰り返しながら、1時間半をかけて帰宅。ちょうどワタシが銀座線から、丸ノ内線に乗り換えたあと、あまりの混雑に銀座線は運航停止になったそうだ。ギリギリ間に合ってよかった。

翌土曜日に、ニュースで、東北地方で何が起こっていたのか、知ることになった。

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