May 02, 2013

事務所の引越し

いままで何回も繰り返してきた事務所の引越し。今回はちょっとちがう・・・

というのも、今回は、28階から7階への引越しだからです。数年前に汐留のビルに移動してきてから、ずっと31階、28階、と高層階にいたのです。でも、今回の事務所内ガラガラポン配置換えによって、低層階への移動となりました。連休明けには、これらの荷物は全て7階の自分の机のところに移動されているはずです。そして、窓から見える風景もガラッと変わります。

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April 09, 2011

海外からのメール

東日本大震災、そう名前が決まった。それまで、東北地方太平洋沖大地震、東北東関東大震災、など、いくつかの呼び方がされていた。そして、2週間たったころ、正式に各社が「東日本大震災」と報道し始めた。

3月11日は金曜日だった。
仕事上、海外の人とのメールのやりとりがあるのだけれど、週明けから、彼らのメールにはかならず、日本に住み日本で働く私たちへのお見舞い、そして気遣い、心配、応援、いろいろなメッセージが添えられてきた。
私たちは、交通機関が100%動かない中でも、事務所への出社は時差さえあったものの殆ど全員が出社した。帰りは、間引き運転を心配して、まっすぐ帰る。そして、また翌朝に備える。
そういう私たちの生活を思ってか、穏やかに、しかし、強い気持ちを持って、仕事を滞りなく進めてゆこうとする私たちの姿勢への驚きのような言葉が添えられているときもあった。

3月は期末でもある。
ワタシは期末として意識はしないものの、3月31日に仕上げなければいけない仕事があった。それも、ドイツとイギリスとの合同作業、そして日本側スタッフと調整しながらの仕事だった。3月11日のこともあり、その締め切りを再考してはどうかと、投げかけたくなったときもあった。でも、彼らにとって、日本での仕事・作業が遅れることは、グローバルへの約束をキープ出来なかったことになる。
彼らは締め切りについては何も言わない。しかし、アチラに渡したボール(宿題の答え)がなかなか返ってこない。こちらから、3月31日で本当にそちらは大丈夫か?という確認も幾度かした。すると、「あと2日あるじゃない」とか「まだこちらは11時よ、大丈夫!」というような返信があった。そういうメールを、朝一番に見る、そんな毎日が1週間続いた。

でも、雨ニモマケズ、風ニモマケズ、
ならば、予期しなかったことが起こっても、もともと予定していたことはちゃんと遂行しなくては! と仕事を進めていき、3月31日にはめでたく完了。ドイツ側もイギリス側も追込みがすごかった。そして、4月1日の朝、彼らからのメールを読んで、1つの仕事をやり終えた充実感をかみしめ、その日の夕方には、電話会議でお互いにご苦労様とねぎらいあった。

あちらこちら、いま、地震は日本列島の場所を選ばずに、私たちを揺さぶっている。携帯に着信するエリアメールの音にビクッとしながらも、日々の仕事は進めてゆかなければならない。海外に対して、私たちは大丈夫、ちゃんと仕事してます、そう伝えること。少しでも日本の経済を応援することにつながれば、そう思う。

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April 02, 2011

3月11日(金)

まさかそこまで大きなことになっていようとは思わなかった。
いつものように昼食を食べ、汐留シティセンタービル31階の事務所で仕事をしていた。お尻から何か揺れを感じた。あ、地震!かなりの横揺れだった。ブラインドが窓ガラスにぶつかってガンガンと音を立てる。柱がミッシミッシときしんでいる。その柱に掛けられていたポスターがぶらんぶらんと揺れていた。
これはかなり強い地震だ。と、自分の机の下に入れるように準備していた。
少しして、ある程度の揺れが収まったとき、向かい側のビルを見に、窓側に行ってみた。前は、日テレ。ユラユラと揺れているのが見える。きっと、向こうからも、うちのビルは揺れているのだろう。
そして、窓から外を見ていたら、ケイタイが変な音を出した。エリアメールだった。

「緊急地震速報
福島沖で地震発生。強い揺れに備えて下さい(気象庁)」

すると、本当に来た。どこかに捕まらないと立っていられない。窓際にいたら危ない気がした。「こちらは防災センターです。地震が発生しましたので、エレベーターを緊急停止しています。復旧の見通しは立っておりません。皆さまには火の元をご確認ください。このビルは免震構造となっておりますので安全です。」というような館内放送があった。「良かった、エレベータに乗っていなくて」そう思った。

3時4分に、会社から安否確認のメールが来た。「ただいまの地震について、被災状況を返信してください」というもので、あ:無事、か:負傷、さ:その他、に加え現在地を返信するというもの。しかし、「送信」しても「送信」してもつながらなった。

PCで地震情報をみてみると「津波に警戒してください。3時に津波到着予定」などとなっている。緊急地震速報のエリアメールが来たのが確か2時40分ころだった。ということはたった20分で津波が来るっていうこと?そんなに早いの?
でも、揺れが収まって、仕事に戻った。エレベーターが停止していても、そのうち動くだろうし、と呑気に構えていた。そして、5時を過ぎ、ニュースを見てみると、綺麗に並んでいるビニールハウスが飲み込まれていく映像があった。いったい何が起こっているのか?理解できなかった。

エレベーターは、まだ動かない。復旧の見通しは立っておりません、という放送が繰り返されるばかり。都内の交通機関も停まっている。帰宅難民、その言葉がわが身に起ころうとは。歩いても2~3時間で帰ることはできる。でも、母親も無事に家にいることもわかったし、ガラスも棚も被害はないこともわかった。なので、会社に一泊することにした。防災センターからは、「お客様は、このビルにて留まられていても構いません」というアナウンスがあり、「私たちって、お客様なんだ、なんか変な感じ」と思いながら、一泊することにした。
他のビルでは、すぐ出てください、というところもあったという。そういえば、31階の窓から新橋方面を見ていると、小さな広場に人が溢れていた。ビルから飛び出してきたのか、追い出されたのか。私たちは、外に出られなかったこともあるが、このビルにいれば安心安全と思っていた。仲間もいる。会社で地震にあって良かった、そう思ったくらいだ。

その日のうちに発信しなければいけないメールがあったので、仕事を続け、残業となった。今度は、総務部からのアナウンスがあった。緊急用の非常食と水を配布するので、各部で必要個数をまとめて大会議室まで取りに来てくださいというもの。女性の方には非常用の毛布を配布しますとも。うちの部は8人。女性は2人。
行ってみると、総務部の人たちが、災害対策本部となり、対応していた。仕事で打合せした人も、非常食を配ったり、列を整理したりしていた。いままでの防災訓練が効いているのだろう。
女性用の毛布といっても、銀色の薄い紙のようなもので、15センチ四方の小さなパックに入っていた。でも、確かに膝や腰に巻くと、暖かくなってきた。暖房が切れることはなかったし、照明も少しは落したけど、通常の雰囲気で夜は過ぎて行った。どうせ帰れないなら、オセロ大会をしよう、DVDを見よう、などさまざまな過ごし方をしていた。

翌朝、東京メトロは間引き運転とはいえ、動き出したというので、8時に会社を出て、いつもなら40分くらいの道のりを途中駅での時間調整を繰り返しながら、1時間半をかけて帰宅。ちょうどワタシが銀座線から、丸ノ内線に乗り換えたあと、あまりの混雑に銀座線は運航停止になったそうだ。ギリギリ間に合ってよかった。

翌土曜日に、ニュースで、東北地方で何が起こっていたのか、知ることになった。

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November 05, 2010

国産初のジェット旅客機MRJ

今日の日経「私の履歴書」
とにかく計算、細かいレベルまでの計算が大切と言う話、決して妥協は許されない、と。そしてそこには、ジェット旅客機MRJという機種の開発について触れていました。

このMRJの設計に、富士通の技術が、日々発生する膨大なデータを安全に確実に保管し、転送し、コスト的にも、関係していたこと、今日のトップページで知りました。

【事例紹介】
デデュープ装置によりバックアップデータ量を1/4に圧縮
国産初のジェット旅客機MRJの開発を基盤で支える
http://storage-system.fujitsu.com/jp/solution/case/360/

「日々の膨大な設計、製造データをリーズナブルに遠隔地のデータセンターに保管するというニーズに対応できたのは、当時、富士通だけでした。デデュープ装置の活用により重複排除、高圧縮後の差分データのみを転送することで課題に応えた上で、災害対策に適した富士通データセンターの活用などトータルサービスもポイントになりました」


ご存知ですか?国産初の旅客機、それはYS-11、プロペラ機でした。この設計を、富士通の国産コンピュータが支えていました。それから40年経って、今、国産初のジェット旅客機の設計に、再びかかわることが出来た。飛びたいという気持を応援し、確かな形で支える。まさに縁の下の力持ち、社会基盤をささえる、そういう会社なのだな、と実感しました。

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August 07, 2008

汐留にフラミンゴ

毎年この季節になると、汐留は賑やかになります。日テレがあるものだから、子供たち相手のイベントで昼休みともなれば、ステージからガンガン音が聞こえてきます。なので、夕方などは推して知るべし。

0805flamingoそんな一方、うちのビルの前には、いま、フラミンゴが遊びに来ています。

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January 04, 2008

2008年仕事始め

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今年も4日の仕事始めには、ちゃんと出勤。汐留の31階の事務所から見える新年の風景です。あのビルさえなければ、真っ白な富士山が綺麗に見えるのに・・・という一枚です。
でも、31階の事務所の扉を開けて、自分の席に向かって歩くときに、こういう風景が見えるっていうことは、すごく幸せなことなのかもしれませんね。
今年も仕事、がんばろ! 

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December 05, 2007

今日のALWAYS

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汐留の事務所の窓からみた「ALWAYS三丁目の夕日」。東京タワーの向こうに見える大山に沈む夕日。
いつもはブラインドが下がっているのだけど、今日は人も少なく、しかもキレイな夕日。ということで、同僚の女の子がブラインドを上げて、ケイタイを持って窓際に飛んでいった。すると、我も我もとケイタイを持って、窓ガラスに近づいていった。うちの部長も、そして、隣の知的財産本部の人たちも、口々に「あ、三丁目!」

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July 25, 2007

灼熱欧州報告(番外編)

はやくも、番外編ですが・・・

今日、昔の仕事仲間との飲み会がありました。米国ダラスに長い間駐在していた人の帰国を肴に、彼が日本にいたときの仕事仲間が集まった会合でした。12名ほどが集まり、それぞれ勝手に話をして、それぞれ勝手に席を移動しながら、旧交を確かめ楽しむといった雰囲気でした。ほとんどが知った顔ばかりでしたが、確かに一人、初めてお見かけする人がいました。

3年前まで同じ部だった同僚から、「まきこさんは、また演奏旅行なんか行ってるの?」と聞かれて、「まさにピンポーン!先週、ブダペストとウィーンで演奏会をやって、今週日曜日に帰国したばかりよ~(^^)」などとキャイキャイ話していました。
すると、そのとき後ろから「ブダペストとウィーン? フィルハーモニック ・・・?」という声がしました。振り向くと、初めてお会いしたその人でした。「え?フィルハーモニック・アンサンブルをご存知なんですか? ・・・!!!!」と問いかけたワタシに「いやあ、娘が・・・」と言う言葉。その途端、今日初めてここでお会いしたこの人の苗字を思い出したのです。「ひょっとして、山○さんのお父さまですか???」

いやあ、世の中狭すぎます。恐すぎます。
だって、この宴会の素となった1982年の思い出写真なんかをおじさんたちが見ていたとき、「1982年なんて私が生まれた頃ですね~♪」なんて白々しく言ってたら、「それじゃ、うちの娘と同じくらいですかね」なんてマジ顔されちゃったその人なんですから。

It' a small world!
思わぬところで人と人は出会う。世界は小さい。とくに、音楽の世界は狭い。悪いことは出来ない、はい。

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November 09, 2006

六本木ヒルズ49階から

今日の午後は、六本木ヒルズ森タワー49階でセミナーに参加していた。
働く人にとって、お客様にとって、空間がいかに大切であるか、という話を聴いた。それは、働く人にとってはオフィス環境だし、お客様にとっては企業との接点となる場所のこと。やる気や、また来ようと思う気持ちも、商品である製品サービスが良いことはもちろんだけど、そういうものと出会う空間が意味を持つのだ、というのを考えさせられた。

そして、最近の新入社員というのは、大学時代を近代的な素敵なキャンパスで過ごしてきた子たちである、ということ。だから、そういう子たちが入社して配属された部署のオフィス環境をどう思うか、ということを考える必要があるらしい。同じ会社にいながら配属先によって、労働環境が劣悪な部署があってはいけない、という方針をもってきた企業が多いと聞いた。歓迎すべきことだ。まずは、トイレ環境を整えた企業もあった。

で、ワタシの場合、中学は大阪だったが、卒業したら図書室や体育館が整備された。高校は神戸で、卒業したら同窓会館が整備され、教育実習をそこに2週間寝泊りして恩恵にあずかったものの、その後、図書館・体育館・プールと次々と建て替えられたが、実際にワタシが使うことはないままだ。大学だってそうだ。卒業してから、図書館にはITが整備され教室は改装され、反響板もないような五十周年記念講堂もちゃんとしたホールになった。
1109fujiしかし、それらみんなワタシがそこで学生をやっていたときには無かったもので、卒業後にその恩恵にあずかることもほとんど無いものってことです。
時代の狭間に生きてきたなと、ずっと感じてきたけど、今度は、職場のオフィス環境でも同様の経験をする気配が漂ってきた。
「でも、そういうことを、昔からワタシは見てきたわよ・・・」と言いたげな、どっしりした富士山が夕日を背に、静かに紫色に浮かんでいた。

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September 15, 2006

屋形船で打ち上げ!

テクノロジーホールをリニューアルしたプロジェクトが表彰されて、その打ち上げが本日、お台場から出航する屋形船の船上で開催されました。ゆりかもめ「青海」という駅のすぐ前に船着場があり、船も立派で、巾も広い。その昔、乗ったことがある屋形船は、長細くて天井が低くて狭くて、というものだったけど、今回は広くて天井が高くてといったもの。
0915yakata1お台場を出航して、あらかじめセッティングされている枝豆やお刺身、鴨、かにの足を摘まんでいると、船のエンジンがが止まった。周りを見廻すと他にも屋形船が何艘か浮いている。雰囲気あるな~、と振り向くと、バックにはお台場DECKSが煌々と明るい。なんと、出航してからちっとも進んでいない、そんな場所。でも、レインボーブリッジは見えるし、なによりも屋上に上がれて、夜風が心地よかった。
そしてしばらくしてイナセなお兄さんが天麩羅がひとつひとつ運ん出来てくれる。キス・メゴチ・イカ・エビ・ナス・シシトウ・カボチャ。揚げたてホクホク(^^)v 美味しかったです。
0915yakata食事がひと段落して、カラオケが始まり、賑やかになったころ、船は再びエンジンをかけた。そして進む先に見えてきたのは、ワタシが働く汐留。海側から見ると、しかも夜だから、フロアの電灯が綺麗に見える。左側のちょっと青いビルで赤いネオンでCONRADというコンラッドホテルも綺麗、誰一人として帰った人がいないくらい電灯がついているのが電通のビル。この電通ビルの後ろ側に、ワタシの働く汐留シティセンタービルがある。うちらのビルからは、東京湾大華火大会は見えないけど、電通のビルからは見えるってこと。ちがうね。やっぱ。

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